本連載『ミライのNewPublic』は、政策研究者の小田切未来さんがファシリテーターを務め、「将来の公共の在り方」を各分野の有識者・トップランナーと様々な観点で対談していく連続企画。
第四回目のゲストには、PR・クリエイティブに特化したハンズオン支援が特徴のベンチャーキャピタル「GO FUND」にて代表を務める小池藍氏をお迎えして、その稀有なキャリアや日本の文化、テクノロジー政策に対する提言を深堀りしていきます。
※後編はコチラから
「テクノロジー」、「投資」、「日本」、「政策」が結びついた背景
小田切 未来氏(以下、小田切):まず、私としては小池さんのキャリア観にとても興味があって、そこから色々伺いたいと思っていました。
小池さんは、大学時代にスタートアップを経験され、卒業後は博報堂に入社。投資ファンドへの転職を2度経験されて、現在は自ら立ち上げたファンド「The Breakthrough Partners GO FUND(以下、GO FUND)」の代表を務めていらっしゃいます。
ただ、「女性活躍」が重要視される昨今でも、まだファンドの代表を女性が務める例はほとんどないのが現状です。
そんな中、どうしてこうした稀有なキャリアを選ばれたのかとても興味があります。
小池 藍氏(以下、小池):確かに、ベンチャー投資ファンドの代表をやっている女性は、日本では3人しかいないそうです。
ただ、私の場合、最初から「将来、自分でファンドをつくる」と考えていたわけではありませんでした。
小田切:そうだったんですね。
小池:将来の目標に向けて経験を積んでいくのではなく、「過去の経験の延長線上に次の経験を重ねていく」という考え方でキャリアパスを歩んできました。
ですから、ファンドの代表になりたくて経験を積んできたというより、自分が積み重ねてきた経験の先が「ファンドの代表」だったという感覚でいます。
小田切:小池さんの経歴は、先ほど触れた通り知ってはいますが、掘り下げてそれぞれのお話聞いてみたいですね。
小池:私のファーストキャリアは、大学時代にやっていたスタートアップです。
当時所属していたサークルのメンバーが立ち上げたWebマーケティング会社に参画し、毎日のようにメンバーとオフィスに泊まり込んだり、夢中で楽しみながらやっていたのを覚えています。
小田切:大学卒業後は、博報堂に入社されていますよね。
もちろん、言わずもがなPR、クリエイティブ、マーケティングなどの大手広告代理店なので、学生時代にWebマーケティング事業に取り組んでいた小池さんとは親和性はありそうな気がしますが、何か惹かれる理由があったんですか。
小池:企業の中で起業する「イントレプレナー」に興味がある変わった人材を博報堂が募集していて、そこが惹かれた理由です。
実際に入社後は、事業を開発したり、デジタル系の部署で企業としての新しい動きに取り組んだり、新しいものを作る仕事を多く経験しました。
小田切:その経験で学んだことは多そうですね。
小池:「事業をつくる」ことは大学時代にも経験してはいましたが、改めて「組織論」や「事業開発」あるいは「資本の仕組み」などを早めに一度学ぶ機会を持ちたいなと思うようになりました。
小田切:なるほど。
そこでの気付きが、次のファンドへの転職につながるわけですね。
小池:そうです。
最初にアドバンテッジパートナーズというプライベートエクイティファンド(PEファンド)に転職しました。
PEファンドの仕事は簡単に言えば、企業を買収し、経営改革でバリューアップを行い、そして売り、その差分で儲けるというビジネスモデルです。
そこで実践経験を通じて、資本の仕組みの理解や投資や経営を学びました。勿論「学ぶ」だけでなく、体力と精神力の限界まで実務で実践し、企業の価値最大化を頑張る訳ですが…笑
小田切:ファンドに転職したことで、プレーヤーとして投資や経営のスキルを学ぶことが出来たわけですね。
では、プレーヤー側から「ファンドの代表」というマネジメント側に転向したのには、どういった経緯や想いがあるのでしょうか。
小池:そこに至るまでには、もういくつかのステップがありました。
アドバンテッジパートナーズで4年間キャリアを積んだ後に、あすかホールディングスというファミリーオフィスの資金運用で、シンガポール、インド、東南アジアのベンチャーに投資する仕事を3年弱ほど行っていました。
そして、次の経験が私にとっては大きなターニングポイントになります。
その後、3年間「アート」に没頭したんです。
小田切:アートに没頭した3年間ですか。
中々、唐突で理由がとても気になりますね。
小池:これまでの投資の仕事一色のキャリアの影響から、仕事だけではなく私自身の行動に対しても「理由が完璧に言語化&数値化できない行動はしない」というクセが染みついてしまったと自覚したのがキッカケですね。
どんな些細な行動でも全て合理性が最優先だったり、「様々・色々」「絶対」といった曖昧だったり正確でないワードは『絶対に(笑)』許せなかったし、挙句、赤の他人の考えなしの不条理な行動を見聞きすると許せなくて怒りが湧いてきたりして、そんな自分に息苦しさを感じるようになっていました。
そんな時に出会ったのが「アート」だったんです。
アートの世界では、まずは「多様性を認める」という前提があり、その上で歴史や文脈の意味づけや解釈を行い、さらにそこからようやく好きや嫌いなどの感想を持つ、という順番がある。
また、勿論芸術作品なので、アウトプットである作品の造形が美しいか、という感覚による言語化できないセンスでの評価も重要となります(良いものを大量に見ることで感覚に刷り込みパターン認識するようになっていく)。
そうしたアートの世界に没頭することで、自分の中の価値観のバランスを調整することができました。
アートに3年間没頭した後に、現在のファンド設立に至るのですが、アートで得た知見は今の仕事にも活かされています。
「アート」の知見と「ファンド」の仕事の融合
小田切:徐々に小池さんのキャリアの核心に迫ってきた感じがしますね。
そのアートに没頭したことで得た知見と、現在のファンドの代表という仕事は、どのように結びつくことになったのでしょうか。
小池:私が代表を務めているGO FUNDは、クリエイティブ・エージェンシーの「The Breakthrough Company GO」と一緒につくったベンチャー投資ファンドです。
その関係性を活かして、GO FUNDでは出資するだけでなく、投資先のブランディングやPR、マーケティング戦略など、クリエイティブ分野のサポートも提供することを特色としています。
小田切:ファンドによるサポートといえば、一般的には資金の運用面での支援をするのみだと思うのですが、クリエイティブなサポートも行うのが、GO FUNDのオリジナリティということですね。
小池:そうです。
この「クリエイティブ分野のサポート」をするという特色を持ったファンドを作りたいと思ったこと、クリエイティブの世の中での重要性に気付けたことは、アートへの没入経験による賜物だと思っています。
そして、そんなことを漠然と思い始めていたタイミングで、大学時代からの友人であるGOの代表の三浦・福本も同じような想いを持っているということが判明し、「それでは」ということで一緒に合流し形にすることが叶いました。
インターナショナルスクールでの経験がキャリアに与えた影響
小田切:ここで少し話題を変えて、小池さんのこれまでの人生の中で、最もハードシングスだったことは何でしょう。
小池:高校時代に韓国・ソウルに突然親の転勤で引っ越すことになり、3年間インターナショナルスクールに通ったことが今までの人生では一番のハードシングスでした。
同時に、自分の視点の持ち方やその後のキャリアにも大きな影響を与えたと思っています。
小田切:インターナショナルスクールでの経験ですか。具体的に教えてください。
小池:通っていたインターはInternational Baccalaureate(インターナショナル・バカロレア資格)という国際基準のプログラムを採用していたので、そのコースでも学んでいたのですが、バランス良い国際人を育てる、というような思想を掲げている教育システムで、要はとにかく勉強も課外活動も体力の限界までやり詰める、というハイスクール生活を送ることになりました。
授業が大学レベルまで設定されていたり、課外活動も、文化・スポーツ・ボランティアをバランスよく行うこと、またそれらがインターナショナルな活動であることが良しとされる、など、ちょっと日本での学校生活からは想像がつかない世界でした。
しかも、それまで私は日本の公立の学校で日本語でしか勉強したことがなく、英語環境自体が初めて…。一年目などは悲惨でした。
毎日、授業中は勿論、休み時間やランチタイムも皆ずっと辞書のような教科書を読み宿題を解き続けていたし、授業後は課外活動のはしご、さらに自分のことでも精いっぱいなのに乳児院などへボランティアに通ったりもして、家に帰れば明け方まで宿題を行い完璧に仕上げる、という一日3時間睡眠生活ができると知ってしまった(笑)のはこの時です。
課外活動では、オーケストラ、バレーボール、そして模擬国連の3つの活動に参加したんですけど、これらの活動に加わるには「トライアウト(参加のためのオーディション)」を受ける必要がありました。
希望すれば誰でも参加できる、というわけではないのがハードルですが、学校代表になれば国際大会や海外演奏ツアーへの参加など、非常に恵まれた機会が提供されるというのは、努力して挑戦する甲斐がある面白い環境でした。
「機会によって自らを変えよ」というリクルートの社訓があるらしいのを最近知ったのですが、機会は得るほどに自然と自らの成長や変化への挑戦となるんですよね。
意識せずやってきたけれど、これからも忘れずに気に留めたい良い言葉だな、と思いました。大人になると一つの仕事に熱中し忘れがちになると思うのですが、新たな分野の勉強をしてみる、兼業などをしてみる、変化が好きな人と一緒にいるようにする、など新たな機会を得て成長すると、元々やっていたことにも成長した自分で臨めるので全てにプラスな気がします。
…だいぶ話が逸れました。
小田切:いえ、それは非常に有意義な経験だと思います。私はニューヨークのコロンビア大学大学院の修士課程に留学しました。
何をされてきたかも重要ですが、そもそもアウェイを経験すること自体、貴重です。
先程伺った経験は、小池さんのキャリアにどのように影響したのでしょう。
小池:そもそもできるか全く未知だったことを少しずつ形にしていく日々でしたが、それを、「日本代表である」ことを毎日強く意識させられながら経験したことが、私の思考の基本になり、その後の人生にも影響を与えていると思います。
というのも、ここでは事あるごとに「日本人としての」私の意見や行動を求められます。
International Relations(国際関係論)の授業では、アメリカ人とイラン人の生徒が大激論を繰り広げ、しかも大体が外交官の子女たちだったりするのでどことなく小さな外交官のようだし、自国の事態が深刻なのでついには大泣きで訴えたりもし始める。
そんな中で他の生徒に「あなたの意見は?」「あなたの国の動きは?」と先生が振るんです。または、模擬国連に出れば担当国になりきり、日本との関係も気になって調べてみたりする。
日本が国際的に評価され、未来が明るく期待される国であって欲しいといつも思っていました。
それで私も責任感を覚えるようになったり、あるいは、「日本のことをもっと知らなければ」という思いを強く持つようになったりしました。
こうした意識は、その後社会人になってから、日本の未来のためにスタートアップに関わっていくことや、ファンドでの海外ベンチャーへの投資を通じて日本の将来像の輪郭を把握したいという思い、あるいは今のファンドの代表としての仕事を通じ未来社会への貢献の意識など、私の考え方や行動を構築する上でのベースになっています。
また、仕事(当時では勉強)だけに邁進するのではなく、教養や文化の大切さ、社会への貢献を実際に行う、というのをインターで叩き込まれたことで、いまだにあれこれと幅広く活動してしまうのはその当時の教育の結果かもしれないです…。
スタートアップというのは10年後、20年後の日本の大企業、産業の種です。「スタートアップを10年後の大企業に」という呼びかけと行動を、今は日々行っています。それが日本の未来の発展になると信じています。
また、私はファンドの代表以外にも、主にアートの分野で様々な取り組みに参加させていただいていますが、それらも「日本に対する想い」が、学ぶだけでなくアクションも取ろうと思った背景にはあると感じます。
※後編では小池氏のファンド代表としてのテクノロジーやアート「アクション・提言」を掲載しておりますので、是非併せてご覧ください。
(取材協力:GO FUND, LLP、インタビュアー:小田切 未来、執筆:小石原 誠、編集:深山 周作、デザイン:白鳥 啓、写真撮影:田中舘 祐介)