国の経済政策、コロナ対策を巡って多くの批判が飛び交う。しかし、その批判は「建設的」だろうか。「ただの批判に終わらず、前に進むためにどうするべきか?」を、Pro Publingualの小田切未来氏(経産官僚、政策起業家を経て、現在、東大研究者)に、解説を頂きます。
政権批判から考える「良い批判」と「悪い批判」
12月14日、菅首相は『Gotoトラベル』を12月28日から2021年1月11日まで全都道府県で一時停止すると表明した。それだけが全ての要因ではないだろうが、12月の菅政権の支持率42%で、11月の支持率から比較すると14ポイントも下落した。(NHK世論調査)
これに関連する批判が、SNSなどで飛び交っている。
批判そのものは良いことだ。批判とは「良い所、悪い所をはっきり見分け、評価・判定すること。」という意味であり、「良い批判」によって多くの人々の意見が可視化されることは歓迎されるものと考えている。
しかし、現在飛び交っている批判の多くが「建設的」かは疑問が残る。意味のない批判は、相手に響かないだけでなく、自身の思考も狭めてしまいがちになる。いわば「悪い批判」だ。
これは何も政権批判に限った話ではない。例えば、企業の中の話であっても、こうした批判家に陥ってしまうことは、自身の留飲を少し下げる以外には誰の為にもならない。
これには陥りがちな「意味のない3つの批判パターン」と、そうならないための「問い」を意識するといいのではないか、と私は考えている。
私がコロンビア大学大学院に留学していた際のエピソードを交えながら、これについて話していこう。
「”わたし”は、どうしたら大統領選に勝てたか。」、この課題にどう答えますか。
国際公共政策分野における世界最高峰のスクールの一つであるコロンビア大学国際公共政策大学院には、名物教授がいる。
そのうちの一人であるヤン・シュヴェイナール氏は、2007年のチェコ共和国の大統領選に出馬し、現職のチェコ大統領ヴァーツラフ・クラウス氏と一対一のギリギリの接戦の末で敗北をしたという面白い経歴を持っている。そのヤン氏の「Leadership and Innovative Public Policy(リーダーシップと革新的な公共政策)」という授業は、今でも鮮明に覚えている。
そのレポート課題がとてもユニークだった。
事前に大量の情報を提供され、自分で調べてレポートをまとめるという課題で、そのテーマが『2007年の大統領選にヤン氏が負けた理由は何か、今後、大統領選に勝たせる方法を検討せよ』というものだった。
少なくとも、日本国内のMPA(公共政策学修士、公共経営学修士)でこういう授業はほとんど聞いたことがない。
まず、私の直感として、ヤン氏はとても真面目で誠実だが『国を大胆に変革してくれそうか』というと、そうは感じなかった。
当時のチェコは閉塞感があり、世の中は変革を求めていたようだった。それを踏まえると、ヤン氏にはオバマ元大統領の『Change Yes We Can!』のような力強い広報戦略が欠如していたようにも見えた。調べる限りでは、他にも大統領選前からの議員根回しや各SNSの活用なども十分ではなく、そうした点について私から提案をさせてもらった。
課題をする上で特に感じたことは、相手の立場に立って提案するということは、事前に大量の情報を集める必要があり、それだけでもかなりの時間を要するということである。
また、提案内容は1つだけでは不十分な可能性もあるため、事前に複数程度のアイデアが必要がある。しかし、用意周到な準備こそが最も重要な鍵なのである。
相手の立場で問題点を指摘しながらも、実行案を伝える作業というもののは、かくも労力が掛かるということだ。
陥りがちな「意味のない3つの批判パターン」と「問い」
この体験から私が言いたいことは、国・都道府県・市区町村・大企業・大学等のトップの立場になったつもりで、「もしあなたがトップだったら、どのように経営・運営をしますか?」という自分事化して思考する訓練が、「悪い批判」をしてしまう人には圧倒的に不足していると感じている。
日本の教育課程で、このような手法で授業を受けた経験は残念ながら私はほとんどない。
思考実験のようなものではあるが、こうした訓練は世の中の物事に他人事にならず、自分事に転換することに繋がる。常に他人事のスタンスで批判を繰り返すことと、その積み重ねで得られるものの差は大きいのではないだろうか。
そして、他人事の批判には、特徴がある。これについて、慶応義塾大学名誉教授の竹中平蔵氏の有名な指摘から、紹介しよう。
「今の日本には、問題解決のための案を出さず、批判ばかりしている人が多い。小泉内閣の中にいて批判ばかりされているときに、批判のパターンは3つしかないことに気がついた。
1つは、反対のことを言えばいい。金利が下がれば、「金利が下がったら、年金生活者が困る」と言い、金利が上がれば「中小企業が困る」と言う。このやり方であれば、いつも批判することができる。
2つ目は、永遠の真理を言えばいい。たとえば、「もっと戦略的に考えないと駄目だ」とか、「もっと目線を低くして考えないと駄目だ」といった正論を言う。戦略的に考えなくていい、という人は誰もいないので、否定しようがない。
3番目は、相手にラベルを貼ってしまえばいい。「あいつはアメリカ原理主義者だ」とか。これはもう思考停止だ。
どうしても人を批判しなければならないときは、この3つのパターンのどれかを使えばいい。この3つには明らかな共通点がある。それは、どうすればよいかという対案がないということだ。」(竹中平蔵(下)「リーダーは若者から生まれる」 | ワークスタイル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準より)
この指摘は含蓄があり、本質的だ。
この3つの批判パターンは、意味のある批判ではない。
特に、政策は、薬のようなものである。病気に効果があるかもしれないが、副作用もあるかもしれない、つまり、原則トレードオフになる。上記の批判パターンに当て嵌めて、幾らでも批判のしようがある。そして、そうした批判は、必ずしも良い改善に繋がるものではない。
では、この3つの批判パターンに陥らないか。
そこでヤン氏の講義の話を思い出し、他人事から自分事に転換する「問い」をすることをおススメしたい。
「もしあなたが、社長や国・地方などのトップであれば何を実行するか?」
「あなたが、社長や国・地方などのトップに3分間もらえたら、何を具体的に提案しますか?」
そう頭の中で考えている人間と、そうでない人間では考える力に雲泥の差が出てくる。
何かを考えるとき、何かの批判をするとき、思い出してほしい。
師走と言われる12月、読者は特に忙しいだろう。但し、年末・年始に落ち着いた時間はあるはずだ。ぜひ、自分の環境に置き換えて、目にするニュースから、上記のように妄想してみてはいかがだろうか。
(記事制作:小田切 未来(政策起業家・研究者)、編集・デザイン:深山 周作)